2021/12/06 update

連載:医薬品の事業性評価の理論と応用
『事業性評価の目的と意義』
医薬品の事業性評価の特徴と注意点(1)

国際医薬品情報

2021年10月11日〈通巻第1187号〉

ここまでは事業性評価の目的について、いわば評価科学の側面から議論してきた。ここからはもう少し医薬品産業、特に医療用医薬品の製品としての特徴に留意しながら、業界固有の事業性評価の在り方や気をつけなければならない点などに言及しつつ、議論を深めてゆきたい。医薬品は、人間にとってかけがえのない価値であるところの「健康」を取り扱う財であるという本質的な性質のために、一般消費財などとは大きく異なる属性を有する。したがってその事業性の評価にもその属性の特殊性が反映されなければならない。

医薬品の財としての特徴

商品として取引されるもの、その中でも特に有形なものは経済学の文脈では「財」と呼ばれる。財は、その財が持つ様々な属性の結合体であると考えることができ、その購買者あるいは消費者に対して集合的に、その財に固有の価値を提供することができると考えられる。そのような価値を「効用」という。財がどのような属性を持ち、どのような効用を購買者・消費者に提供できるのか、ということがその財の財としての特徴を示していると言える。

マスローの欲求階層説¹

ある財の持つ効用の性質を理解するための典型的な枠組みの一つとしては、有名なマスローの欲求階層説があげられよう。これは人間の様々な欲求を階層化して理解しようとする試みである。効用は財の側から見た価値であり、欲求は消費者の立場からどのような効用を求めるのか、ということを表現したものであると考えられる。このため、欲求階層説はマーケティング、特に新製品開発において消費者に訴求する製品コンセプトを設計するにあたって、良く用いられる考え方である。
欲求階層説の文脈における医薬品の財としての位置づけは、生理的欲求や安全欲求のような、いわば低次の欲求を満すものであると言える。マスローによれば、各階層の欲求間には、例えば生命の維持などのより基礎的な欲求が充足されると、次のより高次な欲求を充足しようとする動機が形成される(これをメタ動機(metamotivation)という)という方向性・序列性がある 。すなわち、低次な欲求は人間がより高次な欲求を満たすための必要条件であり、医薬品のような財は、人間にとって必須な効用を提供するような財であると言えそうである。この、いわば必須性は医薬品、特にいわゆる医療用医薬品の財としての基本的な性質である。この必須性のために、わが国では医薬品とそれを用いた医療サービスの提供は基本的人権の一つである社会権の、憲法25条で保障されている生存権、すなわち健康で文化的な最低限度の生活を営む権利の一部であると考えられ、健康保険制度を含む公的制度によってそのサービスの国民への提供は補助されていると考えられるのである。

機能的価値と情緒的価値

さて、医薬品という財の効用を表現するにあたって、もう一つ重要な軸を挙げるとすればそれは財の機能的価値と情緒的価値との二極からなる軸であろう。機能的価値とは、文字通りその財の機能によってもたらされる価値であり、情緒的価値とは機能以外の、いわば消費者の情緒に訴えかける価値である ²。様々な財は、これらの価値からなる軸に対して固有な位置づけを持っていると考えることができる。例えば、宝飾品のような財であれば機能的価値よりも情緒的価値のほうが、その効用に占める割合が大きいと考えられるが、例えば金庫のような財であれば情緒的価値よりも機能的価値のほうに重きが置かれるであろう。自動車のような財は、機能的価値を示す性質(燃費や安全性能など)と情緒的価値とを示す性質(ブランド名や色彩など)とが一つの財の中に混在していると言えそうである。
この視点から見ると、医薬品、特に医療用医薬品は限りなく純粋に機能性のみに集約された財であると言えそうである。医薬品はその機能のみによって定義されている財であり、そのことが財としての医薬品の基本的な特徴であると言ってもよい。逆に、例えば米Forbes誌が毎年発表している「世界でもっとも価値のあるブランド(The World’s Most Valuable Brands)」のレポートでは、2020年のトップ100ブランドの中には医薬品の製品ブランドや製薬企業名などは一切含まれていない³ 。これは年間500億ドル以上売り上げている製薬企業が3社、100億ドル以上売り上げている医薬品ブランドが3つもある⁴ということを考えると、医薬品の価値は機能的価値の側に顕著に集約されていることを示していると言えるだろう。この特徴は医薬品という財に、さらに重要ないくつかの性質を付与している。
第一には、医薬品がグローバル製品になりやすいという性質である。情緒的価値は受け取る側の文化や言語などの影響を受けやすいために、そのような価値に国境を越えさせることは簡単なことではない。しかし機能的価値については、基本的には世界のどこにいてもその財は同じように機能するはずであり、したがって医薬品の効用が機能性のみに集約されているということは、医薬品が世界市場に普及してゆくことは比較的たやすいはずだと考えられるのである。このことは、医薬品の事業性評価を行う場合、特にその絶対的な価値の評価を行う場合には、それがたとえどんなにアーリーな化合物であったとしても、必ずグローバルな売上予測に基づいて価値を評価してゆく必要があることを示している。医薬品がグローバル製品となりやすいということは、医薬品は製品として大型化しやすいということを示している。特定の市場(例えば国内市場)だけに絞って評価してしまうと、その医薬品にかかわるイノベーションの価値を過小評価してしまう可能性がある。

第二の性質は、機能的価値が記述的であるということである。機能は文字や文章の形で記号化することができ、その機能的価値の部分を余すことなく書き尽くすことができ、そのために再現性がある。このような性質から機能的価値ははっきりとした輪郭をもった概念として考えられるために、知的財産の考え方とよく馴染むのである。多くの機能的価値は特許化できると考えられ、それはその財を製造販売等する企業に対して強力な独占的な実施権を与えるだけでなく、ライセンス契約等によって当該技術がより国境を越えやすくしていると言える。
特に医薬品の特許の場合には、その機能的価値を包括的かつ強力に保護することができる「物質特許」が制度として我が国にも1970年代から導入されている。これは、医薬品の技術的価値のすべてを具現しているところの有効成分である新規化学物質を、その特許期間中、競合はいっさい事業利用できないために、他の産業分野ではよくみられる特許の迂回によって先発特許と同様の効果を示す技術を構築することが難しいことを意味している。また、そういった特許制度に加え、製薬企業が当局に提出している申請資料に用いられているデータの所有権が企業に属していて、後発品も含めた他剤の開発に一切利用できないという点も重要である。このことは、基本的には極めて似たような性質を持つような類似薬であっても、それを事業化するためには申請資料に用いられるすべてのデータを、臨床試験を含めて一から作り直さなければならないことを意味している(後発品はその例外であるといえる)。このように、医薬品は、その独占的な実施が可能な期間には非常に高い参入障壁が築かれているのであるが、それは医薬品の財としての効用がその機能的価値に集約されているためであるとも解釈できるのである。
さて、機能的価値が記述的であるということは、それを裏返せば模倣の対象となりやすいということも示している。このことは知的財産法に端的に示されており、特許法では特許の保護期間は20年(医薬品の場合は最大25年)と有限なのに対して、情緒的価値を保護する法律の代表格である商標法においては、商標権の存続期間は更新登録申請を行うことによって事実上無期限に設定されていることに端的に象徴されている。特許で保護されるような機能的価値は、一定の独占期間を経たのち、模倣されることを受け入れなければならないのである。
したがって、画期的な機能を備えたイノベーティブな製品のライフサイクル戦略は、当初はそのイノベーションの機能的価値を訴求して早期の浸透を図るが、市場の成熟とともに失われてゆく機能的価値から、長期的に維持され得る情緒的価値へと効用をシフトさせてゆく、というのが一つの典型となっている。すなわち、製品ブランドを構築することによって、機能の模倣によって新たに参入してくる競合に対する差別化を行い、製品が長期にわたって事業に貢献することを目指す、ということである。そのようなライフサイクル戦略は、例えば自動車であればトヨタのハイブリッド自動車であるところのプリウスに典型的にみられるとされる⁵ 。
ところが医薬品のように効用が機能的価値の側に高度に集約されている財については、通常はすでにみたように情緒的価値への効用のシフトは起こりにくい。医薬品のブランド価値に関する研究はいくつか行われているが、例えばBednarikは医薬品のブランド価値は他の一般消費財とは異なり、長期にわたるポジティブな使用経験に基づいていること、したがってマーケティング戦略はその製品の真の機能性に基づいた製品ポジショニングとブランド構築とに基づくべきであると結論しており⁶ 、一見情緒的価値であるように見えるブランド価値と言えども、医薬品の場合には機能性の文脈で語られなければならず、すなわち機能的価値から独立したような情緒的価値を形成することは難しいことを暗示している。

 

ところで、医薬品の機能的価値から情緒的価値へのシフトの一つの有力な戦略として、いわゆるOTCへのスイッチが、特に一般開業医向けの医薬品においては取られうる。ロキソニンSやアレジオンなどがその成功例であると考えられているが⁷ 、同じ医薬品であっても、医療用医薬品と異なりOTC薬は、自動車のように機能的価値と情緒的価値とのハイブリッドな財であり、いわゆるキャッシュカウ化させることができる薬剤であると考えられるのである。なぜOTC化によって、機能的には同じ財であるはずの医薬品が情緒的価値を付加することができるのであろうか。この疑問に対しては次回答えることにしたい。
このように、医薬品はその財としての性質から、その事業性評価においては機能的価値を独占的に実施できる期間の事業性と、その独占が無くなり、競争にさらされたのちの事業性とに分けて考えることが極めて重要である。

 

 

新規モダリティと事業性評価

さて、最近の医薬品の研究開発における大きなトピックの一つには、モダリティの多様化、と呼ばれるものがある。細胞性医薬品、核酸医薬品、ウイルスベクターによる遺伝子治療など、これまでには見られなかった様々なモダリティの医薬品が、実際に承認され、発売されるに至っている。このような多様なモダリティの存在は、医薬品の事業性評価にどのような影響を与えうるだろうか。以下は筆者の現時点での考えをまとめたものである。
 適応となる患者がよりターゲティングされ、患者数ベースの市場がより狭くなってきている
 新規モダリティの薬剤は、製造コストが高いと考えられ、そのために薬価も非常に高額になっている
 新規モダリティの薬剤は、ものによっては独占的な実施に関する概念が古典的モダリティの薬剤とは別に考える必要があるのではないか
新規モダリティの薬剤の重要な特徴の一つは、それらの薬剤の研究開発が疾病の科学的理解に基づいた、分子標的薬として創薬されているところである。ほとんどの新規モダリティの薬剤は、どの遺伝子、どのタンパク質、あるいはどの分子カスケードのどのプロセスを標的としているのか、ということが極めて明確になっている。かつて、医薬品の大部分が低分子化合物であった時代には、疾患モデルに対して様々な化合物をランダムに当てて候補化合物をスクリーニングするというようなことが行われており、例えばある種の脂質異常症治療薬などは発売の段階を迎えてもまだ作用メカニズムが特定されていないというようなことがあった。しかし、2000年代にヒトの全ゲノムがいったん解析されたあたりから、疾病の分子生物学的な理解が深まり、多くの疾病では臨床学的な分類から分子生物学・診断学的な分類へとシフトしてきている。このような医学の発展に伴い、創薬の技術も標的となる分子に対してピンポイントに作用するような薬剤の開発へと移行してきており、新規モダリティの薬剤はその文脈の中で現れてきている。このような新規モダリティの薬剤は、その治療する疾患を患う患者の中でも、標的となる分子の関与(分子そのものの異常、あるいは分子の標的としての妥当性)が診断によって確認されている患者のみが適応となる。そのため、適応患者数は相対的に少なくなるが、適応患者においては既存治療よりも高い効果が期待できると考えられる。そのようなよりターゲテッドな性質の医薬品には、これまでの古典的モダリティとは異なる事業性評価の方法が必要となってくる。
新規モダリティの薬剤は、非常に高価な薬価がつくケースがある。新規モダリティの薬剤は薬価が原価計算方式で算定される場合があり、薬剤の製造原価が高価な場合には薬価に影響を与える可能性がある。このような薬剤の製造は既に述べたように小ロットとなり、また製造の経験、実績も少ないためにコスト高となりがちではある。また、当局としても、適応患者が絞り込まれていて、高い効果が期待できる薬剤なのであれば高薬価を許容する余地があるのかもしれない。
新規モダリティの薬剤は、例えば細胞性医薬品の場合には、後発品をどのように概念できるのか、という課題が残されている。製薬企業にとって、これらの薬剤のライフサイクル戦略がどのようなものになるかということは、そのような薬剤に関する機能的価値がどのように記述され、それによってどのような態様で独占的に実施されるのか、ということに依拠している。その参考になるのが、生物学的製剤におけるバイオシミラーが、どのような技術や制度として確立してきた道筋ではないだろうか。生物学的製剤、特に抗体医薬品には物質特許以外にも制度的にも技術的にも様々な参入障壁があったが、それを一つずつ科学的に解決してゆくことによって、ここ5年ほどでようやく本格的に先発品のシェアを脅かすに至っている。新規モダリティの医薬品はこの点からも、古典的モダリティの薬剤と比べても後発品の参入が遅れるケースが考えられ、その分長くキャッシュカウとしての状態を維持できる可能性がある。従って、そうした医薬品には、やはり異なった方法による事業性の評価が求められると考えるべきであろう。

 

1: Maslow (1943) Psychological Review 50, pp. 370-396.A Theory of Human Motivation

2:Kato, International Journal of Information Management Data Insights 1 (2021) 100024

3:https://www.forbes.com/the-worlds-most-valuable-brands/#31a71fd9119c : 2021年9月5日閲覧

4:Monthlyミクス 2020年増刊号 第48巻11号:いずれも2019年の売上

5:文教大学情報学部『情報研究』第 62 号 2020 年 1 月

6:Neuroendocrinol Lett 2005; 26(6):635–652

7:https://www.mitsui.com/mgssi/ja/report/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/05/22/1903x_sakai.pdf: 2021年9月5日閲覧